熟柿

ことばから見えてくる民族的背景を考察するから今日は「熟柿」を取り上げる。
昭和中期の頃に遡りますが、子供達は白く強張った袖口で尚も落ちてくる洟を拭きながら晩秋の「ジュクシ」を狙って竹棒で柿木の枝を突付いたものである。今になって思い出すとこの洟垂れ小僧達と彼等が口にする「ジュクシ」という名詞との組み合わせに何とはなしの違和感を覚える。

これは「ジュクシ」とも「ズクシ」とも読むが普段の会話に出てくるような言葉ではないように感じる。九州地方では子供の頃、よくジュクシを採って食べていたなどと耳にします。意味は文字通り赤く熟れて柔らかくなった柿である。渋柿でもこうなると渋が抜けて美味しい・・と感じた。この言葉について少し調べてみると中世の鎌倉時代から室町時代に端を発した猿楽或いは更に発展した狂言で引用されていたようだ。「熟柿臭い」又は「熟柿首」という形容で使われていたらしい。それぞれの意味は酒を飲んだ人の臭い息、又は落ちやすい首と相手をののしる時などに使うのだそうだ。

狂言は当時、相撲(すまい)の節会(せちえ)や内侍所御神楽の夜の余興として行われていたものであるから場所は宮中であり、見物人は天皇を始めとした貴族である。古くから口語体ではあまり使われていなくて狂言で引用されたり、歌詠みに用いられたりしそうなこの言葉の響きはどのような経緯で連綿と九州地方に引き継がれてきたのであろうか。私が知る限り小さい時分に祖父母が野良仕事の合間に土手に座って和歌を詠んでその短冊を川に流していたなどと言う記憶は一切ない。

やはりその当時から使われていたと思しき言葉で私の郷里の九州の小さな村で変化したと思われるものがある。「采女:うねめ」である。「采女」というのは宮中で天皇、皇后の雑役に従事する女官のことである。「采女」をこの地では「ウナメ」と変化させ、女の総称として使ってきたのである。人間に対して使うのならともかく、家畜の牛に対して使っていたのであるから冷汗が出る。自分が飼育している雌の牛に女官を意味する「ウナメ」と称して憚らないその飼い主はいったい自分を誰に見立てていたのであろうか。このような宮中言語は平安以降、都であった今の京都に残っているのであればそんなに不思議ではないが遠く離れた九州の片田舎である。伝説として平家の残党と深く関わっているということを聞くがその事に関与しているのだろうか。交通が閉ざされた過疎地であったからこそ連綿と受け継がれる条件と成り得たのであろうか。

もうひとつオリジナルの言葉がこの地で変化していったと思われるものがある。高千穂神楽のクライマックス近くの舞に登場する「細女:ウズメ」である。正式には「天細女命:アメノウズメノミコト」の舞ということになるが、この地ではそれを「細面:ホソメン」と呼ぶ。何故そう呼ばれるに至ったかを推察すると、飽くまでも筆者の想像の範囲ということになるが最初の「細女:ウズメ」が「ホソメ」と勝手に読み替えられた時期を過ぎ、次第に「細面:ホソメン」に変化したのではないかとみている。このように長い時間と距離を経て言葉は多少の変化を伴いながら引き継がれていくのは仕方のないことだろう。

しかし「ジュクシ」のようにそのまま変わらずに残る遺伝子もある。この遺伝子一つに小さい頃の多くの事柄が抱有されていて懐かしく思い出すことができる。更に伝継されてきたこの言葉のお陰で中世の人々が仰ぎ見たであろう同じ土地の遠い晩秋の空と、その時の彼等の感慨を自分の事と重ね合わせて想像できたりもしよう。これまで伝承されてきた民族性を失わずに時代を更に積み重ねていくことができる言葉の遺伝子があるとすれば、現代の日本社会がそれを育んでいける豊かな土壌を持つ細胞組織のようなものであってほしいと願う。なぜならば民族の独自性と普遍性とを併せ持ちそれを失わないこと、またそのことへの相互理解がインターナショナライズの第一歩になると思うからである。

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