帆がない

ことばから見えてくる民族的背景

「傘がない」は1970年代初頭の井上陽水の作品であった。爆発的に増殖したアジアンタムのような髪を頭に載せ、ジージャン上下の彼の姿が世に現れた。歌は将来についてまだ方向が定まらなくて、何を目指して良いのやらわからない若者の脱力感と自身の恋情との交錯を表現しているのだろうと、そんな印象を私はその歌に持った。今思い起こしてみると社会の中で、この世代と無気力という言葉が一つ括りにされてきたのもこの頃ではなかったかと思う。私もこの世代に春のような怠惰な空気に襲われそうになった事を経験的に知っている。本日の考察はこの時代に青春を謳歌したお父様達に焦点を当て、「帆がない」を取り上げてみたい。

この時代は学生運動も圧倒的な権力によって、その活動の終焉を余儀なくされ、若者達の心は敗北感に支配された。或いは中には活動そのものが凶暴の道へと方向を転じたのに辟易し、鎮圧されることに人知れず安堵感を覚えた者もいたのかも知れない。過激派が潜伏していたアジトへの強制捜査のニュースも次第に数を減らしていった。

何れにせよ、エネルギー放出の矛先を失った若者達は企業戦士にその身を変え、その後ニューファミリーと呼ばれる社会層への仲間入りをしていった。一方では怠惰な世界へ流れ込む若者達がいた。ヒッピーである。口々に平和と自由を唱え、その実、やっていることはただひたすら怠惰であった。ベトナム戦争で死んでいく若者達のニュースと対象的に映ったのを覚えている。然しそれは一つのことの表裏だったのかも知れない。そのような時代にラジオから流れてきたのが「傘がない」であった。

そして現在、世代はそのジュニアに交代し、再形成されることになった。親の世代とはうって変わり、少子化の社会である。大事に育てられ過ぎた節もある。フリーターという言葉も生み出した。親に寄生して自立しないという意味のパラサイトシングルなどの不名誉な言葉も出てきた。そこでは自身で生き方を決めて、如何に燃焼していくかという人生哲学は放棄されているように映る。進むべき方向がわからすに立ち止まっているのだろうか。自由の定義がはっきりしていないように見えるのは感染しているせいだろうか。この現象はジュニア世代だけで作り上げたものではない。戦争を知らない親達との合作である。動物社会学によると動物園で飼育された後では自然界で生き延びていく事は困難だそうだ。

「帆がない」という表現が私の住んでいる地域で使われている。恐らく「穂」ではなく、「帆」であると私は確信している。意味は一言で、いい加減な奴を指している。言動が定まらずに一貫性がない人を指すときに使われ、「あの人は帆がないので大事は頼めない」と言う具合に使う。この表現の生い立ちを想像するに、船と帆の関係からきているのでないか。帆がなければ船は正しく進路を決めることができず、風に翻弄されるしかないことからきているのではないかと考える。

然し、土地の会話を良く聞いていると上述のいい加減なイメージだけではないようだ。そのような相手を容認し、愛着を込めている節もある。常識を打ち破り、捕らえどころがなく、奔放な男のイメージを持つかのようにである。戦国武将の織田信長が幼い頃、廻りから「うつけ」呼ばわりされ、その才能を危ぶまれたそうだが、周囲の常人にはその「うつけ」の言動から、彼の頭の中を読み解くことができなかったように計り知れない者への畏敬かも知れない。

「傘がない」世代である若い彼らのその後は、帆がない船と同じように社会に翻弄され、厳しい荒海を試行錯誤しながら漂流し、やっとのことでここまで辿り着いて来たものもいることだろう。また「寄らば大樹の陰」を選択した者達は静かな海であっても、ちゃんと帆を立て、自分の進路と家族の安全を羅針盤と照らし合わせながら大した困難もなく辿り着いて来た者もいよう。信長ほど、智略で豪胆ではなかったにせよ、どちらも懸命に生きてきた。定められた航路に従い進むほど面白くないものはないと恐らく信長も思うに違いないが、一度きりの人生だ。自分が思うように生きたら良い。

私は人生の「帆」はスタート地点では、その使い方をむしろ知らない方が良いのではないかとさえ思う。社会の海に揉まれながら自身で習得していくプロセスの中にこそ、宝物が隠されているような気がしてならない。私は団塊世代に少し間をおいて、その尻尾を追いかけるように今日まで生きてきたが、未だに上手に帆を立てることができないでいる。然しそこに面白さと次の目標を感じる。恐らく帆立ての習得には終わりはなく、その過程こそが人生なのだろうと考えている。

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