八ヶ岳登山紀行 初冬編 2

編笠山の肩が目前に迫り出した頃、登山道の行く手が明るくなってきた。権現岳への中継点である青年小屋がもう間近であることをそれは知らせてくれた。
然し入山の際に見た立て看板には今回のルート沿いにある山小屋は全て今シーズンの役目を終えて春まで閉ざされてしまっていることが告げられていた。
編笠山と権現岳との谷間に位置する青年小屋はひっそりとその佇まいを閉じて周囲の景観に孤立していた。谷間を吹きぬけていく白い塊が風に陵辱されながら小屋の屋根を覆っては消えていた。

錆色が所々にじみ出ているトタン屋根はその光沢をとうに失っているがそれは同じように外壁にも使われていた。小屋そのものが朽ちた金属の物体が放置されているといった具合だ。
それでも厳しい自然の中では人間の命を守ってくれる頼もしい味方にある。本来窓のあるべき所も冬を越すためにしっかりと閉じられていた。
この小屋のある中腹には相当数の幕営が可能である平地を有していた。
歩いて4、5分で水場があることを赤い文字の看板が教えてくれた。

テント場には誰も居なかった。今晩ここで幕営をするのは我々二人だけなのだと多少の不安と面白さが頭の中で同居した。誰も居ないのだからこの幕営地の一等地を探し求めた。
この辺りは高所で沁み込んだ水が再び地表に現れるところのようで湿地の様態であった。比較的高い所に毛足の長い草が枯れて地表を覆い、風上側に樅ノ木の群生が要塞を作り出している格好の場所を見付けることができた。我々はそこにテントを張り、昼食の準備に取りかかった。

準備といってもお湯で紅茶を作るだけのことだ。パンとサラミを交互にかじる。時にはレトルトのお粥を温めるときもある。貧素である。
山歩きのザックには命を大自然から守る大変重要なものから登頂の際のささやかな楽しみを得るものまでの必要品を上手にまとめて入れてある。それでも18kg位の重量になる。
それを背負って一日7、8時間山道を歩くわけだから食料はどうしても簡素にせざるを得ない。そのような事から私にとっての山歩きに関するイメージは役行者が行う修験のようなものであると頭のどこかで感じている。修行、禁欲、原始への回帰というイメージがどこかにある。実際は楽しめる範囲で表面的に行っているに過ぎないが。

我々はそこに幕営を済ませた後、水とカッパとお菓子を小さなバックに詰め替えて権現岳を目指した。行程的には一時間半くらいだ。夕方前にはここに戻ってこられる。
うまい具合に両方の肩、編笠山も権現岳もその全容を現し始めた。幸運が我々側についた。編笠山と西岳が見下ろせる所まで登ったときに景色は一変した。
ダケカンバ、ナナカマド等の木々が全て霧氷と化し、あたり一面を純白に染めている。木の形がそのまま白い氷のシルエットに置換えられてしまっている。
木肌の風上側に扇子を畳んだ位の大きさで白く積み重なっている。どのような木肌、色合いを持ち合わしていてもその白さの前ではそれは影にしか見えない。

氷が主役を演じて本来の木が黒子を努めている。自然が創り出したそのコントラストの見事さにしばらく呆然とした。我々が立っているところはシャクナゲの群生地になっている。
そこから見える北西風が吹きつける斜面一帯は上方も下方も霧氷の林になっている。春の山で見ることが出来る桜の木の満開を髣髴させる。凍った桜だ。これまで春の雪解けと新緑、夏のお花畑、秋の紅葉とその都度の山の装いを楽しませてもらったが目の前に広がる初冬の装いのすばらしさには言葉を失った。穏やかな世界では決して見ることの出来ないもの、厳しい緊張の中で初めて創り出される自然の造景である。

権現岳の頂は三つほどの峰がありそのうちのどれが正式に権現岳と呼称されているのか最初のうち判らなかった。そのうち大きな岩の上に矛が天に向かって祭られてある場所に権現岳の名称を確認できた。ここは八ヶ岳のなかでも一番南に位置する峰で、ここから北に向かって他の峰が続いている。すぐ目の前に八ヶ岳の他の峰峯が悠然と対峙している。
それぞれの峰が固有の岩肌と形を顕示している。しばらくその雄姿に目を奪われた。赤岳の名前の由来、硫黄岳の荒々しさ、阿弥陀岳の丸みを帯びた雄大さ、横岳の向こうには蓼科山が見え、車山高原、霧ケ峰高原とつながり稜線は諏訪湖へと落ちてゆく。

夕餉はなかでも立派だ。パンの他にクリームシチューがつく、といってもレトルトだ。
それらを戴く前に今日一日の無事に感謝し、山の神を招いてささやかな酒宴を催さなければならない。この冷え込みにはホットウイスキーでおもてなしすれば神様もきっとお喜びになられるに違いない。権現岳から帰ってくると我々の他に二張りのテントを確認した。何れも単独登山者だ。

相当の経験者でなければこの時期、単独ではやってはこないだろう。氷点下の中たった一人で山の中のテントで一夜を過ごすことになるのかもしれないのだから。彼等の勇気のためにもだまって杯を上げてやることにしよう。
太陽は西に傾き、その方角に編笠山が位置する。従って我々が幕営している場所は最初にその影となる.お湯が沸くまでの間、編笠山の影が我々の所を足早に通りすぎて行った。

ささやかな酒宴から簡素な食事が終わるまでの間、権現岳側の上の斜面にしばらく止まって動かなかった最後の薄い斜陽を見ながら寒さを堪えていた。僅かの間、外に放置していた水筒の水はもう凍り始め、
地表の草は白く葺き、土は霜柱で盛り上がりを見せ始めた。食事が終わると寒さに耐え切れずテントのなかで寝袋に包まった。夜の帳が訪れる前に眠気が襲ってきた。それに耐えようとしたが抗えなかった。

目が覚めたとき夜半を過ぎた時間であってほしいと目覚めと同時に願った。然し時計はまだ8時を指していた。宇宙の果てまで届きそうな長い夜がこれから続く。
しばらく起きている事にしたが、することは何もない。外は氷点下だ。時間を稼ぐためだけの会話とお茶を飲んだ。遠い向こうにある朝を待ち焦がれた。

白い靄に覆われた朝だった。テントに閉じ込められるのはこれ以上我慢できなかった。起床してすぐにテントの片付けに取り掛かった。既に一張りのテントは出発した後で、そこの枯れた草むらだけが周囲の霜から免れていた。もう一人はテントの中でまだ就寝中なのか、或いはテントを残し何処かへ向かっているのか判らなかった。

我々がそこを後にするまでついに彼は姿を見せなかった。紅茶を飲み冷たいパンをかじり、下山の用意をした。そこから編笠山の頂上へ至る道が編笠の真中を縫うように抜けている。
そこで折り曲げると編笠の左右がちょうどうまく重なるようだ。頂上までは30分くらいの道のりだ。上り口は大きな岩の連続で良くすべる。10分くらいそれが続いた。そこを通りすぎるとハイマツの林の中へ導かれた。編笠山の頂上は360度の大パノラマだった。
後ろに八ヶ岳の全容が聳え、眼下には富士見台高原、蓼科高原が広がっている。紅葉の最盛を過ぎているせいか全体が鈍く鉄の錆色を帯びている。この高度から見ると一様にそのように見える。今、初冬と晩秋の狭間に足をのせている。

鹿の湯という温泉は富士見台高原にあるホテルの一画に設けられている施設だ。これといって特色のある温泉ではないがこの辺りではここしかないので下山すると利用することにしている。泉質にどの程度の温泉成分がはいっているか知れたものではないがこのような所でも山の厳しさを味わった者には天国となる。
ここには露天風呂があるのが救いだ。露天風呂の廻りの林はまだ紅葉の最後の一滴を溜めていてお湯に浸かって眺めているとその林の遥か上の方で過ごした過酷ですばらしい時間がうそのように感じる。穏やかな紅葉につつまれた景色のなか、弛緩しきったお湯の中での回顧は厳しい初冬から晩秋へと季節をいっきに駆け下りてきた者だけに与えられる密やかな褒美だ。

打ち上げには蕎麦を求めた。小淵沢インター近くの小高い場所にその蕎麦屋はあった。運良く名前だけの手打ちではなく本物だった。三番粉まで使った太目の田舎蕎麦だった。蕎麦つゆは蕎麦の香りを損ねないように仕立ててある。ここの女将は多分地元の人ではあるまい。あかぬけた感じのする老女将だった。初老に属する婦人と老婦人の二人がその手伝いをしている.どこか趣味でやっているようなところが感じられるお店である。

蕎麦を頼む先からかぼちゃと冬瓜の煮物が出てきた。
続いて白菜に鷹の爪がたっぷりと入った浅漬けと沢庵を燻製にしたようなものがなにか柔らかいものに包まれてでてきた。きのこの天婦羅ともり蕎麦を頼んだあと、それらのお品から戴くことにした。外を眺めると小淵沢の秋が広がっている。窓に面して赤い実をつけた木が午後の陽射しに枝を寄せている。全体が黄色と赤で彩られた山裾の景色を眺めながら注文した蕎麦を静かに待っているとあと少しお銚子を追加して暮れていくこの秋といっしょにもうしばらく過ごしてみたくなった。

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